心の成長が高校二年生で止まっている男の他愛の無い話

本当は50歳近辺のおっさんの。競馬、アイドル、小説。

『赤いドレスの女』 ~昨日見た夢の話~ 1

これは夏かな、いや 秋の まだそんなに寒くない夜…のはず。そう、夜は確実なんです。だってあたりは暗かったから。夏か秋か迷うのは 恰好がね、人々の。ズバリとは言い表せない、そんな装いなんです。暑くて仕方のない薄い木地ではないし、かといって 見た感じめっちゃモコモコで 首をすくめたフォルムでもない。だからこれは夏と秋の間の話。と、夢に季節感を持たせてもねぇ。果たしてそれが真実ではないのだから、かなりいい加減な描写でいいはずなんですけど、あまりに鮮明な動画だったもので。鮮明だからこそ、何月何日ころ!ってはっきり言えないんですよね。秋っぽい夏のような、夏っぽい秋のような…。

しかし なぜこんな夢を、いや なぜあんな夢を見たのか。。。本当は今日はお薬をもらいに病院に行かなくてはならないのに、こんな文章を書いてしまっているのは、一日の過ごし方として正しいのか誤っているのかわからない23時。とりあえず思うがままに昨日見た夢の話を整理してみようと思う。

地元の夏まつりにわたしは妻といた。夏祭りといってしまっているので、季節は夏なんでしょうね。ビールを飲んでる方が多かったもの。商店街の車通りを封鎖して、歩行者天国のような感じでテーブルやイスを並べて、まあ言ってみれば”ビアガーデン”のような。そんな感じが一番近いかしら。あたりは薄暗いけど、まだ人の顔が認識できる明るさ。わたしと妻が選んだ場所は、カラオケのステージがあって飛び入りで誰でも歌えるようになっていた。でも誰も歌っていない。ただただみんな楽しそうに飲んで会話をしている。会議用の茶色い嘘くさい木目調の長テーブルにパイプイス。なのにみんなえらい着飾っている。姿だけはまるで社交界のパーティのよう。地元の夏まつりの屋外ビアガーデン風出店の集まりなのに。違和感もそうそうにひときわ目立つ女性を発見。即、妻に報告する。

「あれ、西野七瀬じゃねえ?」

体にフィットした赤いドレス、髪はアップしてセット。誤解を承知で表現すると、社交界というよりは、キャバクラ嬢のような出で立ち。なぜならめっちゃ煙草をくゆらせていたから。それがまたその場になじんでいた。イスには座らず長テーブルに手にしたバッグを置くようにしてバランスを保ち、左の手で煙草を口に運んでいた。その女性が西野七瀬なのかどうかは認識をされていないようだが、その目立ちようは紛れもない本人であるかのよう。どこかつまらなそうに愛想笑いを続け、視線は定まっておらず手持無沙汰を絵にかいた女性が田舎の夏まつりに参加していたら、そりゃ悪目立ちしますって。案の定誰かが、おそらくおっさんと世間的にカテゴライズされる男性っぽい声が西野七瀬(仮)にかかる。

「おねえちゃん、一曲歌ってよ。」

おぉ、おっさんと呼ばれる世代の男性よ、よく言った。わたしもおっさんだが、それは言えなかったぞ。嫌われたくないし、目立ちたくもないもの。すると七瀬(仮)もまんざらじゃない様子。えぇ~といいながら煙草を消そうとしてるもの。ちょっとニヤッとしたように見えたし。待って待って、ここで西野七瀬の歌 聴けるの?おっさんナイス!と思い、ちょいとイスから腰を浮かせたところで今度は野太い女の声。

「やめときなさい。」

あなたの歌声はお金になるんだから こんな田舎の地元の夏まつりでなんか歌う必要ないわよ、的な一言。七瀬(仮)の隣の隣でパイプイスと長テーブルに窮屈そうに挟まれて座っている これまた薄い紫色のドレスを着た女。七瀬(仮)の母親のような年配の方。マネージャーにしては恰好が派手すぎるし、髪型も19世紀の社交界のようなボリューム。手にしてるのはうちわでは無くビアジョッキではあるが。その後も手で制するように七瀬(仮)の歌心を刈りとる。今日イチのつまらなそうな顔が七瀬(仮)を覆う。

まつりに集まった人々の喧騒がその会話の音量を下げるように盛り上がっていく。おっさんのかけた声がただの雑音のひとつとして流されていく。まつりというにぎやかな空間が人間の平時に保つ心拍数を問答無用に高揚させていく。怪しげなドラッグのように。そこにはちょっとのお酒と煙草とつまみのような食べ物があれば、日常から飛ぶことができると誰かが教えてくれているような秩序が見え隠れする。保てることができる者だけ日常のいわゆるフツーの暮らしに戻ることができるが、そこから異空間へと誘われる者は、いよいよ非日常を日常とすり替えることとなる。その狭間がこのまつりにはいたるところにはびこっている。そんなことを再認識させてくれる言葉のやり取りだった。ある意味おっさんの一言が秩序を壊すもので、マネージャーのようなおばさんが放った一見愛想がなさそうな返し文句が秩序なるものなのか。七瀬(仮)はいわばいつでもそのあいだで翻弄される人間の赤裸々な姿だったのかもしれない。そうだ、いろんな創作物でよく見かける 頭の中の天使と悪魔のささやきのような。逡巡している七瀬(仮)も愛らしいものだ と思いながら、スマホを手に取り彼女に向けた。やっと周りの人もその存在に気付いたのか(いやこんな田舎では西野七瀬という存在はあまり浸透していないであろうから、単に目を引く容姿に”有名なひとなのかしら” という好奇の目が向いただけなのだろう)何人かスマホのカメラを彼女に向け始めた。するとまたさっきのおばさんが声をあげた。

「あ、写真は勘弁してください。」

体で制してさえぎるわけでもなく、撮影しようとする輩に近づいてくるわけでもなく、その握ったビアジョッキをピクリとも動かさないまま首だけをわたしたちに向けて、一団を一瞥して放った言葉だった。語気は強くなく、かといって ため息交じりの言い飽きたようなあきらめ半分でもなく、淡々といつものように”決まり文句”を操る。これはマネージャーだ。母親がそんなことは言わないだろう。いつもお世話になってます、ならわかる。七瀬(仮)が極端に目立たないように自分も着飾っているのだ。おや、このまつりは何やらハロウィーンのようだなと気づいたのはそのころだった。そうだ、これはハロウィーンなのだ。田舎の町内まつりではなく、正式なフェスティバルなのか?そうこうしているうちに、七瀬(仮)はまた煙草に火をつけてよりつまらなそうに煙をくゆらせている。さっきから煙草を吸っているさまが自然な所作には見えなかったので気にはなっていたが、”きっとこれは役作りだ”と確信するまでは時間がかからなかった。七瀬(仮)はたんに何かの撮影中でその休憩中にこのまつりに寄っただけなのだ。おそらくスポンサーか関係者に誘われてこの場に来ただけで、本当はまた戻って撮影が始まるのだ。どうりで姿が完璧なはずだ。だって映画の撮影中だもの。で、マネージャーらしきその女性もその共演者なのだろう。ビールを飲んでいるのは不思議に思ったが、芸能人だから常識は通用しないだろうから余計な推測はやめた。わたしの推測が正しければ、煙草を吸う練習をしている七瀬(仮)の行動はかわいらしく思えた。あぁ、不機嫌そうなその表情も演技なのだ。きっと心の中ではこのまつりを満喫したいに違いない。わたしは妄想に掻き立てられてその赤いドレスの女をずっと眺め続けた。

妻はさっそく今宵の宴のシステムを把握しようとしていた。一定金額を支払えば食べ放題飲み放題、商品も買い放題らしい。屋台では焼き鳥やお好み焼き、おでん、いちごあめ、フランクフルトなどの定番商品から見たことのない肉の塊に棒の刺さったものや気色悪いカラフルな色を配したジュースなどさまざまだ。食べ物以外にもちょっと変わった雑貨まで種類豊富に販売されていて、小さな子からいい年こいたおっさんまで楽しめる空間だった。そしてそれは一晩中、朝の五時まで続くようだった。なんというイベント!さすが夢の世界。しかしながらカラオケステージではいまだ誰も歌うものはいない。よくよくみるとなにやらカラオケのためのリクエストボックスが置いてあることようで、歌いたい人は曲のコードを書き込んで投函しておけば順番で回ってくる昭和のシステムじゃないか!さっそく西野七瀬の曲をリクエストして投函した。急にかかったら歌うんじゃないか、と無茶を承知で投票してみた。しかし一向に曲はかからない。西野七瀬の曲どころか、何もかからない。あるのはステージだけ。歌声は全く響かずに、人々の話し声や笑い声、男性特有の音階の低い声(腹に響く太い声)と女性ならではのキーの高い声(頭蓋骨に反響する乾いた声)など不規則なリズムが織りなす有機質な音が夜の空に大きな丸いドームを作りあげていた。わたしたちはそこで守られ、まつりを楽しむ という風紀の元、いつまでも時間を止めていた。慌てることもなく、焦ることもない。ゆっくりとそれぞれのマイペースで事は進んでいく。帰りの時間にとらわれなくてもいいし、なんなら明日という日がやってこないような気さえしてくる。

夜の闇が時間とともに深くなればなるほど、その黒は黒を重ね、七瀬(仮)の身を纏う赤はより鮮明に、そして非日常を演出していく。その七瀬(仮)はというと、座る気配はちっともなく絶えず立ったまま誰と会話するわけでもなくただただ煙草を吸うのみ、というか煙草をその手に挟んだまま。吸ってもないし、減ってもないし、いつまでも同じ姿勢のまま静止画のように動かない。いや、動いてはいる。同じ動きを繰り返していると言えばいいのだろう。おろした左手の人差し指と中指で煙草を挟み(この挟む位置が絶妙で、いわば指の”絶対空域”を作り出しているのだ)右手でポーチをつかみ首を左に右に誰かを探すように振り続けている。なるほど、写真に撮ったところでそれは意味がないことがわかる。そもそも写真を撮るという行為は自分にとって感動的な場面を切り取るという作業に過ぎず、同じ空間にいることができなかった人(家族や友人、知り合いなど)に自慢というか共有させるためのツールなのよ、所詮。感動の押し付け、というのは安易な表現でもっと自分本位なものだ。要は写真を撮った時点ですべて動機は満たされているのだとしたら、もはや撮らなくてもいいのだ。”写真を撮るな”という指摘はつまり、その肉眼の角膜に焼き付ければスマホのアルバムなど開かなくても目を閉じればそこに浮かぶでしょ?だから直接その目で見ておいたほうがいいのでは?というありがたい指南なのだ。そうでしょ?七瀬(仮)よ。そして紫のおばさんよ。だから同じポーズを繰り返している。わたしたちの目に焼き付けるために。まるでGif画像のようで、それでいてバグってるようにも見えるが。握手してもらう人、サインしてもらう人、それもみなおんなじ。知り合いに自慢したいだけ。共有できないものを手に入れることこそ、その場にいる特権。だから七瀬(仮)の歌が聴きたかった。わたしはリクエストを繰り返した。きっとおそらく七瀬(仮)も歌いたくて仕方ないのであろう。まつりの喧騒の元、どさくさに紛れて歌うことほど楽しいものはないではないか。妻はというと、支払った料金の分、元を取ろうとしていろいろな食べ物をかき集めてテーブルの上に並べていた。

妻の背中、七瀬(仮)の出で立ち、まつりの提灯がならぶ夜の商店街。

七瀬(仮)の姿をそのカメラ的な機器に収めるために集まった輩は、いつのまにかどこかへ散らばってしまっていた。火事の現場に我先にと駆け付けておきながら、その火が鎮火したら何事もなかったようにスマホをしまい、どこかへいってしまう群衆のそれ。紫のおばさんの一言はそのくらい輩たちの心を冷めさせたのか、素直にいうことを聞いてそれぞれの場所へと戻っていった。ネットの炎上~鎮火のさまをほんの何分かで映像としてみることができたのは、ちょっとラッキーだったかもしれない。それでも七瀬(仮)のドレスはいまだ赤く燃え続けている。より強く。たばこの煙がちょうど鎮火された後のようで、どこまでも闇に覆われた空に吸い込まれていく。わたしは確実に七瀬(仮)の姿に目を奪われていたのだが、ふいにその煙の行く先を見上げ、首を空へ向けていた。雲が厚いのか月や星は見えず、黒みばかりでまつりの明るさを際立だせていた。そういえば、俺も煙草を持ってきていたな、と思い出した。小さな子どもに影響が良くないと車の中も家の中も禁煙で肩身の狭い喫煙者としては、こういう外のまつりはうってつけの場所に思えた。七瀬(仮)が持つように煙草を左手の人差し指と中指の第二関節で挟む。(指が細くないから美しさに欠けるなあ)ライターのバネに硬さを感じながら指に力をこめて右手親指で火をつける。煙草の先を近づけ、火がすぐ回るように多めに吸い込む。目の前の炎の赤が七瀬(仮)のドレスとかぶる。煙は空へと逃げるように向かっていき、広がるように消えていく。なんともなしにそのさまを見届けると、視線をおろしたその先にぼんやりと七瀬(仮)の姿が入り込んだ。オートフォーカスで七瀬(仮)の表情をとらえるとわたしと目が合った。上から視線をおろしてきたスピードで、そのままさらに下に首を向けていった。わたしの得意技である。決して人と目を合わせないように生きてきたわたしはその絶妙な背け方を会得していた。合ったとしてもそれが故意であるかのように素知らぬフリをする。それにしてもいつもは冷静に対処するのだが、このときばかりは動きが少し速かったかもしれないと後悔しながら煙草をもう一度吸い込んだ。煙に巻けたか。。。

普段街や出かけた先で知っている人と出くわしたとき、わたしは必ず会わない。認識していないフリをする。あいさつをするのが面倒だし、プライベートの時間が奪われた気がしてしまうからだ。ホント勘弁してほしいし、お互いにとってそれが礼儀だと思い込んでる。それがほんのひと時だとしても。妻は違うのだ。立ち止まって一定の時間話し込む。そして、話の中盤でわたしを紹介する。紹介が終わるとまた話の一時停止が解かれる。その間、わたしは何もすることがなく、立ち尽くすとか手持無沙汰とかいう表現がこれほど似合う状況はないと、いつも味わうことができる。あ、やることあったこともある。その久々に会った友人とのツーショットを撮らされたことが。マネキンからよくてカメラマン。わたしは妻の横で良き亭主でありたい。わたしはそういうのは苦手で、できれば誰とも会いたくない。しかしそれは無理。ではどうするか?早めに察知する。能力を測れるスカウターでも付いているのか、わたしは結構離れた場所からでも人物を把握できる。会うのが嫌だからだろうね。だから、歩く先を急に変えることもあるし、思い出したようにUターンすることもあるが、決して相手には悟られない自信はある。確認は取れていないがおそらく誰にも気づかれないままわたしは生きている。友人と楽し気に話す時間が終わった後の妻はどことなくつまらなそうだ。それは全世界共通なのだと自分に言い聞かせている。

七瀬(仮)にはわたしと目が合ったと認識されてないはずだ。興味があれば視線を戻すし、写真を撮りたがっていた輩は笑いかけるかもしれない。しかしわたしは違う。誰が相手であれ、こちらの動揺を悟られたくないのだ。うれしいうれしくない関係なく、相手ペースになることが恐ろしい。もちろんうれしいのだが。視線の外し方は自然に限る。あなたには興味のひとかけらもないんですよ、と伝えたい。目が合ったのは偶然ととらえてほしい。それにしても心拍数が上がっているのは相手が相手だからだろう、と少し冷静に分析しながら煙草の煙を見るように空中を視線がさまよい始めた。動揺、なのかこれが!わたしが動揺しているとは。妻に声をかける。

「お、けっこうおいしそうだね。」

食べ物や飲み物を集めるだけ集めて一向に食べる気配がない妻。テーブルの上に置くや否や、またどこかへと食べ物を探す旅に出かけてしまった。おかげでその現実感が心拍数を下げ、わたしはまた日常に戻ってきた。煙草を使わずため息のように息を吐いた。まだ息は白くならないほどの季節。わたしは西野七瀬と目が合った。。。 それは夢の中の夢のような出来事だった。